「わたしの推し」歴10年以上経っていました。

特別お題「わたしの推し

こんにちは!出張鍼灸師Kanaです☀

 

このお題を見た時、まず頭に浮かんだ人物がいます。

その人に出会わなければ正直今の私はいなかったのではと思うくらいには、私の人生にくいこんできた方です。今回は、「わたしの推し」を紹介します!

 

推しとの出会い

出会ったのは、高校時代。

当時、部活動や勉強などで悩んでいた時期でした。朝から晩まで部活、夢の中でも部活をしていました(;'∀')

高校時代の女子部です。どへたなのに副部長の一人に任命されて、嫌で嫌でしょうがなかった思い出、、、。

そんな時、眠れずぼーっとテレビを見ていた時に出会いました。

当時、人気が出始めてきたAKB48です。

その時の絶対的センター前田敦子さんや大島優子さんが活躍していた時代。

AKB48冠番組内の歌唱コーナーで流れたのはBeginnerでした。そして、そこでセンターに立っていたのが仁藤萌乃さんです!

、、、、誰?

と思った人がほとんどだと思います(笑)

仁藤萌乃さん

AKB48の5期生として加入。同期には、指原莉乃さんや北原里英さんなどです。

加入当初は黄金期として指原さんや北原さんとともに活躍していた人物でした。

そこから、正直活躍は少々減っていってしまいましたが、ミュージカルや舞台などで俳優として活躍されていました。

ピーターパンのウェンディやけものフレンズのマンモス役もされています。

マンモス姉さんはかわいかっこよかった(´;ω;`)

 

その仁藤さん(以下、萌乃ちゃん)がセンターに立って踊り歌っていたBeginnerに目が奪われ、歌詞が心に刺さりすぎて泣いたのが今でもいい思い出です。

チャレンジは馬鹿げたこと
リスク 回避するように
愚かな計算して何を守るの?

Beginner歌詞一部抜粋

ハッとしました。

自分は何を守っていたのだろう。チャレンジして、失敗してもいいんだ。

こころにすこーーんとはまりました。

そこから、自分自身の心づもりが変わっていったと思います。

当時はまだ、ガラケーが主流。PCも今ほど復旧もしていなければ、YouTubeも盛んではありません。

そんな限られた情報社会の中でAKB48のこと萌乃ちゃんのことを調べつくしました(笑)

そんな時に、栄に姉妹グループSKE48が出来ましたが、高校生の私は部活と進路受験の関係でバイトもできず、自由に使えるお金もなかったため、会いに行くことはできませんでした。

 

専門学校進学、バイト開始!!

初めてのアルバイトは、ネパール料理を提供する飲食店でした。

料理人やオーナーはネパールの方、店長さんや他スタッフは日本人ととても面白い職場でした。

人見知りが激しい私が接客業。どうしたらええんや、、、。

笑顔で人と接するってどうやるの?言葉遣いは?身なりはどうする?

何もかもわからないことだらけ、幸い母が某ファストフード店の管理職だったので、言葉遣いや身なりについて教わる機会がありましたが、笑顔で人と接することに関しては未知。そこで、参考にしたのがAKB48グループの握手会です!

 

どういうこと?って思いますよね(笑)

当時、まだ握手会に行ったことはなかったですが、世間では握手会が話題になりテレビでもその実態やメンバーが実践していたりとテレビでも取り扱われていました。

それが、人と接するということに関してのメンバーそれぞれの考え方や方法が参考になったんです。

一日多いと何万と握手をする。それも数秒間だけ。その数秒で人の心をつかむってすごくないですか?

セルフプロデュース力が高くないとできないことですよね。

それを実践しているのが、自分とそこまで年も変わらない女の子たちということで、自分も頑張ろうと思えたのかもしれません。

 

そして、いざ、握手会へ行くとき、推しの萌乃ちゃんと会うとき自信を持って会いに行きたい。その思いも大きかったです。

ですが、残念ながら萌乃ちゃんが我が地元に握手会メンバーとして選ばれることはありませんでした( ノД`)シクシク…

来ないなら、こちらから行くしかない!

お金をためて、握手券を握りしめ、東京へ

初めていった日は、緊張して仕方ありませんでしたが、短いけど今でも記憶に残る大切な思い出です。

 

いつしか、私もそう思ってもらえるような人物になりたい。と思うようになりました。

あなたに会いに来た。会うと元気がもらえる。

そう思ってもらえるような治療家になっていくのが生涯の目標です。

 

本日は「わたしの推し」についてでした!

ここまでありがとうございました。